まこっちゃんのそれなり日記

30代男が本とか映画とか音楽とか旅行とかについて書きます

「メメント・モリ ~死を想え~」が共感できるような、できないようなそんな本だった

「メメント・モリ ~死を想え~」という本があります。

この本は作家で写真家の藤原新也という人が1983年に刊行して以来、長年に渡り現代人のバイブルとして多くの人に読まれてきた写真詩集です。

 

私は高校生くらいの頃に初めてこの本の存在を知り、気にはなっていたのですが、最近になってようやくこの本を読みました。

 

で、アマゾンのレビューなども軒並み高いものが多いこの本ですが、無知で無教養な私からすると、なんとなく共感できる部分もあれば、よく分からない部分も多かったんですよね。

 

今回はそんなメメント・モリの「共感できた」部分と「よく分からん」部分をいくつか紹介していきたいと思います。

 

 

 

メメント・モリとは

「メメント・モリ」と言う言葉は、ラテン語で「死を想え、死を意識しろ」といった意味の宗教用語です。

この言葉は古代ローマ時代には一部の人の間で既に使われていたようですが、盛んに使われるようになったのはペストが蔓延していた中世末期のヨーロッパでした。

 

 

共感できた部分

この世は彼の世(あのよ)である。

天国もある。

地獄もある。

 

 

ニンゲンの体の大部分を占める水は、水蒸気となって空に立ち昇る。

それは、雨の一部となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。

何パーセントかの脂肪は土にしたたり、焼け落ちた炭素は土に栄養を与えて、マリーゴールドの花を咲かせ、カリフラワーを育てるかもしれない。

 

 

死体の灰には、階級制度がない。

 

 

あの人骨を見たとき、 病院では死にたくないと思った。

なぜなら、死は病ではないのですから。

 

 

こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬、目の前を過ることがある。

 

 

道をたずねた。

老婆は答えた。

上さまに行けば山、下さまに行けば海。

 

どちらに行けば極楽でしょう。

どちらさまも天国、どちらさまも地獄。

世界はあんたの思った通りになる。

 

 

墓につばをかけるのか、それとも花を盛るのか。 

 

 

 眠りは、成仏のための、日々の錬磨のようなもの。

 

 

信じることの愚かさ、信じることの賢さ。

 

 

ひとがつくったものには、ひとがこもる。

だから、ものはひとの心を伝えます。

 

ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。

 

 

あの人がさかさまなのか、わたしがさかさまなのか。 

 

 

死を想え 。

 

 

よく分からん部分 

死というものは、なしくずしにヒトに訪れるものではなく、死が訪れたその最期のときの何時かの瞬間を、ヒトは決断し、選びとるのです。

だから、生きているあいだに、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい。

 

 

 太陽があれば国家は不要。

 

 

植物は偉大な催眠術師だと思う。 

 

 

この土地にはアリバイがある。

疑う余地がない。 

 

 

赤子は黙って人権宣言。 

 

 

花を真似た花は、花より愛しい。

赤子を真似た赤子は、赤子より愛しい。

 

 

ねこは猫の置物である。

 

 

母の背は、荒野に似る。

 

 

ねこは漬けもの石である。

 

 

 まとめ

なるべく文字のみでも伝わりそうなものを選びましたが、やはり写真詩集なので写真も合わせて見るべきなんでしょうね。

 

著者も本の中で言っていますが、この本はボロボロになるまで繰り返し読んでこそ、伝わるものがあるそうです。

 

さらに言えば、著者のように世界を旅して、その地を直に見てこそ、感じるものもあるのかもしれません。

 

死体の写真など、一部ショッキングなものもありますが、気になる方は読んでみてください。

 

 

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